地球温暖化研究の現状
国立環境研究所企画部環境科学専門員 功刀正行
1.はじめに
2007年に、気候変動に関する政府間パネル(IPCC:Intergovemmental Panel on Climate Change)の第4次報告書がリリースされた。また、同年のノーベル平和賞を、IPCCとゴア元米国副大統領が受賞した。ノーベル平和賞受賞のきっかけともなった映画「不都合な真実」のヒットなどもあり、地球温暖化(地球規模の気候変動)が改めてマスメディアに大々的に取り上げられる機会が、最近増えている。しかし、温暖化問題への研究(取り組み)はこうした状況とは関係なく、既に長い間、地球環境問題の重要課題の1つとして続けられている。
一方で、生活実感として、近年の異常ともいえる夏の猛暑や暖冬、季節感の喪失、集中豪雨の被害の増大などの異常気象がある。問題は、また多くの人びとの疑問は、この地球温暖化や異常気象が、二酸化炭素を代表とする温室効果ガスの増加によるものなのかどうかである。
IPCCの第4次報告書は、こうした疑問に一定の回答を出している。ここでは、IPCCの第4次報告書を紹介するとともに、疑問に応えてみたい。
2.IPCC第4次報告書
既に、IPCCの第4次報告書に関しては様々なメディアで取り上げられている。しかし、限りあるスペースや時間であること、もともとマスメディアはセンセーショナルな取り上げ方をしがちであることから、一般に過剰な反応を来しているとともに、反論も過剰になっている。本報告書は、主に世界中の多数の科学者が練りに練ったまじめな報告書であり、極めて冷静な内容であり、決してセンセーショナルなものでは無い。ただし、科学者の集団としてはかなり思い切った内容になっていることは事実である。 主要ポイントをみてみよう。
1)気候変化とその影響に関する観測結果
IPCCの第4次報告書では、地球温暖化は、下記のように明白であるとしている。
・気候システムの温暖化は疑う余地がない
このことは、大気や海洋の世界平均温度の上昇、雪氷の広範囲にわたる融解、世界平均海面水位の上昇が観測されていることから、今や明白である。
具体的な事例として、永久凍土の融解、極地における海氷や積雪の融解、河川流量・湖沼水位の変化、水温の上昇、地下水涵養量の減少、動植物の生息域の変化などを挙げ、全ての大陸とほとんどの海洋において、多くの自然環境が、地域的な気候変化、特に気温上昇により、今まさに影響を受けている。
2)変化の原因
・20世紀半ば以降の世界平均気温の上昇は、その大部分が、人間活動による温室効果ガスの増加によってもたらされた可能性が非常に高い(90%以上)。(IPCC第4次報告書による。)
人間活動が原因となって排出された温室効果ガスの総排出量は、1970~2004年の間に70%増加し、CO2の排出量の同期間に約80%増加した。 2004年の人為起源の温室効果ガスの約3/4がCO2である。世界規模及び大陸規模の10年平均地上気温の変化は、自然影響に人為影響を加えたシミュレーションで、はじめて実際の観測結果が説明できる。
3)予測される気候変化とその影響
・世界平均気温は2100年に1.8~4.0度上昇すると予測される。
・人為起源の温暖化によって、突然の、あるいは不可逆的な現象が引き起こされる可能性がある。
注意すべき点は、世界平均気温の予測であり、地域によってまたシナリオによって上昇の幅は大きく異なることである。一般には極域や寒冷地ほど上昇の幅が大きいと予測されている。国立環境研究所などのシミュレーションは従来に比べてモデルのメッシュは大幅に小さくなったが、それでもメッシュは100km程度である。
3.まとめ
以上、IPCCの第4次報告書の概要を紹介した。この報告書への様々な反論や批判があるにしても、現時点での科学的な研究の成果であることは間違いが無い。如何にこの報告書を読み解くかが重要である。そこで、今後の対応を考える上でも必要な視点に関してもお話したい。また、国立環境研究所における取り組みに関しても紹介する予定である。
なお、地球規模の気候変動(地球温暖化)およびその原因をさらに明確に捉えるためにも、正確な観測(測定、分析)が必要であることを付記しておきたい。
労働災害防止における職場環境の取組
日本医科大学千葉北総病院病理部 清水秀樹
【はじめに】
環境とは「広く生物が生活する場の周囲の状態。人間では、自然環境・社会環境などに分けられる」(講談社 日本語大辞典)と定義づけられている。自然環境とは大気、水質、土壌などで、それらが関与する問題として、地球環境問題(地球温暖化など)や公害等があげられる。一方、社会環境とは生活環境、家庭環境などで、今回のテーマである職場(労働)環境も含まれる。
【職場(労働)環境】
職場環境を左右する環境要因には、空気環境、温熱条件等の作業空間に関するものに加え、過重労働や労働者のメンタルヘルスも含まれる。平成18年度の労働災害認定件数のうち、脳・心疾患355人、過労死147人、精神疾患205件であり、いずれも平成13年度の3~4倍に増えている。また、職場において強い不安・悩み・ストレスがある労働者は6割を超えており、さらに自殺者数は9年連続3万人を超えている。自殺には労働条件に起因することが少なくない。そのような状況から厚生労働省は、職場における労働者の健康と安全を確保するために、トータルヘルスにもとづく多様、多面的な労働衛生活動を企業に求めている。具体的事項は労働安全衛生法や「事業場における労働者の健康保持増進のための指針」、「心の健康づくり計画」(厚労省働指針)、心身両面にわたる健康保持増進措置THP(トータル・ヘルスプロモーション・プラン)で示されている。今後、企業活動を中心に浸透していくことと思われる。
【有害化学物質について】
企業活動において人体に対して有害性の高いもの、発がん性を有する物質は、労働安全衛生関係法令とくに特定化学物質障害予防規則(以下 特化則)で規制されている。この特化則は平成20年に改正された。その中でホルムアルデヒド(以下 FA)の発がん性が明らかになり、規制強化が行われ特定第2類物質となった。これは「がん等の慢性障害を引き起こす物質で発生源を密閉する装置または局所排気装置などを設け、作業環境気中濃度を一定基準以下に抑制する物質」と定義される。FAは、医療現場では使用頻度が高い物質であり、医療機関における改正特化則の具体的事項は「平成20年度化学物質による労働者の健康障害防止に係るリスク評価検討会報告書(医療現場におけるホルムアルデヒドについて)」(通達)の中で示されている。要旨は、病院は病理検査室に人や物を特化則に沿って構築し、内視鏡室、外来は‘必要最低限の保管’と‘開けたら閉める作業’を行いなさい。と記されており、FAを使用する部署単位ではなく、事業所としての管理が求められている。一方、病理検査室ではFAの基準値 (管理濃度0.1ppm以下)にするための、工学的対策や FAを発散させない技術の習得が急務となっている。具体的な取扱い、構築は病理学会HP「ホルムアルデヒド対策」や「内視鏡検体について」が参考になる。また、FAはシックハウス症候群や化学物質過敏症の原因物質の一つであり、病理検査業務で構築するFAに対する対策、発散防止技術は医療現場のみならず、他の職種における職場環境や家庭環境のFA対策にも十分適応できる。
【まとめ】
労働災害防止における職場環境の取組みは、危険性の予知、情報の収集、改善行動が柱になる。法律では事業者の義務として定めている。また、快適な職場環境形成のためには各部署の管理監督者が重要な位置にあるが、各個人も身近なところから少しずつ行動することも大切である。医療現場における労働安全衛生法の浸透が望まれる。
環境ホルモン(内分泌撹乱物質)と予防医学
千葉大学大学院医学研究院教授 森 千里
現在、私たちは、日々5万種類以上の化学物質に取り囲まれて生活している。化学物質の健康影響問題は、多くの人たちに、高度成長期の大量生産、大量消費、大量廃棄による環境問題として大きくとらえられる一方で、経口暴露・経気道暴露・経皮暴露によって起る疾患として身近な問題としてもとらえられるようになってきた。その中で、化学物質の健康影響問題に対する対策は、個人の努力によって対応可能なレベルと、社会全体で対応すべきレベルとがあることも明確化してきた。
私たちの研究グループは、出産時に母体血、臍帯(へその緒)、臍帯血を採取し、胎児の化学物質曝露や母子間移行について調べてきた。その結果、対象となったすべての人が多種類の化学物質に汚染されていることが明確になった。つまり、現代人は化学物質に複合汚染されているのである。さらに、最近の知見として、私たちが曝露されている化学物質には、微量で生体内のホルモン作用を乱し、悪影響を引き起こすもの(内分泌撹乱物質、いわゆる環境ホルモン)もあることが判明してきた。内分泌攪乱物質(環境ホルモン)を含む微量化学物質の子供や次世代の影響(生殖器系、免疫系、神経系等)は、従来の化学物質の毒性評価のエンドポイントを用いた評価では正しく判定できず、また複合曝露影響や感受性の差などを考慮しなければならず、従来の毒性評価方法に加えて、バイオマーカーやトキシコゲノミクス、さらにはエピジェネティク変異を用いた新しい評価方法の確立が望まれている。加えて、子供や次世代への影響について、世界的にコホート研究を進める方向にもなってきている。米国ではNational Children’s Study、日本でも環境省が2008年度から小児環境保健疫学調査を開始し、化学物質を含めた環境要因と健康影響に関する長期的コホート研究が進み始めている。この背景には、胎児や乳幼児は、大人に比べ化学物質に対して感受性が高く、High risk life-stageの存在が広く認知されたことがある。
私たちの研究グループでは、胎児の複合汚染対策として、予防医学を用いた「次世代環境健康学プロジェクト」を立ち上げ、自分の化学物質の汚染濃度を知ってもらうための環境汚染化学物質の健康診断システムを開発し、さらに体内の汚染化学物質濃度の削減を行う方法の検討を進めている。これまでの我々のPCB測定から、PCB値が高いとダイオキシン類等の残留性の高い化学物質の蓄積量も高く、母親の血中PCB類濃度が高いと胎児移行も高いことも判明している。また、母体血のPCB濃度がわかれば胎児のPCB濃度や他の有機塩素系化学物質の濃度も分かることも報告してきている。また、血中PCB濃度を比較的安価で測定できる方法を開発し、乳幼児を含む0~80歳の400名を超える日本人の血中PCB濃度を調査し、現状の日本人の全年齢層の曝露状況も明らかにした。日本ではPCBの主な曝露経路は魚由来と考えられるため、各人の血中化学物質濃度を明らかにし、高曝露者でかつ次世代を生み出す世代にはリスクコミュニケーションを兼ねた食事指導で偏った食生活を改善させることを予防医学による対応として考えている。
ここでは、環境汚染化学物質の影響と未来世代を基準とした予防医学的対応についての最近の流れを、我々の研究の臍帯を用いた胎児の複合汚染研究から、その対策としての環境改善型予防医学を中心とした「次世代環境健康学プロジェクト」や「未来世代のための街づくり:ケミレスタウン・プロジェクト」を紹介したいと思っている。
参考文献
1) 森 千里: 胎児の複合汚染. 中央公論新社,東京,2002.
2) 森 千里、戸高恵美子 : へその緒が語る体内汚染. 技術評論社,東京,2008.
3) Mori C et al: Environ Health Perspect 111 : 803-809, 2003
4) Mori C : Reprod Med Biol, 3: 51-58, 2004.
5) Mori C et al: Chemosphere, 73: S235-S238, 2008
6) Mori C and Todaka E : Environ Health Prev Med, 14:1-8, 2009
臨床検査技師会の持続可能な発展を目的とした循環型臨床検査システム
日本臨床衛生検査技師会環境対策委員会 才藤純一
社会的責任(CSR: Corporate Social Responsibility)という言葉自体は新しく海外から来たものですが、もちろん、日本企業はこれまでにも社会に対してさまざまな貢献を通して社会的責任を果たしてきました。たとえば、製品やサービスの提供、雇用の創出、税金の納付、メセナ活動などが挙げられます。
しかし、企業のCSRの定義や範囲は時代とともに移り変わるものです。近年は、企業活動を経済面のみならず社会面及び環境面からも評価しようとするトリプルボトムラインという考え方があります。
具体的には、決算書の最終行(ボトムライン)に収益、損失の最終結果を述べるように、社会面では人権配慮や社会貢献、環境面では資源節約や汚染対策などについて評価をし、述べる考え方です。現代企業に求められる社会的な責任は、従来の経済的あるいは法的な企業の責任を大きく超えた概念にまで広がったと言えます。
日本でも、環境への取組状況から企業を選定するエコ・ファンドや、より広範な観点から企業を評価する動きが活発化しています。こうした動向が日本企業に与えるインパクトは無視することができません。
環境問題への対策を考えるに当たって重要な考え方があります。持続可能性は、ある物や活動が、人間活動を維持し持続させていけるのかどうかという可能性について指す言葉です。
持続可能な発展は持続可能性を最大限尊重した開発を進めていくことと言ってよいでしょう。持続可能性を保持しながら資源やエネルギーなどを利用していく社会を循環型社会といいます。
日臨技においては、このような背景のもと『臨床検査の持続可能な発展』を目的とした循環型臨床検査システムを思考し、推進していくことにしています。
具体的には、「3R」の考え方を導入していくことにしています。3Rとは、Reduce(リデュース:廃棄物の発生抑制)、Reuse(リユース:再使用)、Recycle(リサイクル・再資源化)の頭文字をとった言葉であり、国際的にも環境と経済が両立する社会形成に必要な概念と理解されています。
この概念を導入し、実践のための情報を提供するため、本年度より環境問題対策委員会を立ち上げ、本研修会を開催するに至っております。
また今後は、日臨技女性部会とタイアップし、具体策の開発・普及を行っていきます。
本研修会では、臨床検査の環境を『地球規模の環境問題』と『臨床検査の職場環境』の側面からアプローチし、皆様に問題提起する一方、環境問題の意識高揚の一助となることを期待しております。
環境とヘルス・プロモーション
桐蔭横浜大学医用工学部特任教授 涌井史郎
◆ 産業革命から環境革命に
デカルトに代表されるような自然と人間を切り分ける思想を背景に、地球の資源を無限と捉え、自然から如何に有益なエネルギーや資材・素材を得るのかをひたすら追求する科学技術が、産業革命以降富の世界的拡大を支えてきた。工業化社会・消費社会・情報化社会とその名を変えつつ、実物経済そのものの金融までが情報化と一体化し、暴力的とさえ言える市場原理主義を背景に仮想を拡大し破綻した。これはただの経済的異変と捉えられる性格の内容ではない。産業革命以降の時代がピリオドを打ったものと見て良い。
制御の方向に科学技術が舵を切り出した途端、様々なデータが、地球資源の有限性を示し地球環境の異変を告げた。結果、現在の侭の人間活動を続ければ、行動のシェアーは議論の渦中に置いても、人類そのものの生存基盤を失うという共通認識が世界化したのである。それにより環境に対する行動規範を重視した世界像を政治的・技術的に模索する、「農業革命」「産業革命」に引き続く「環境革命」の時代を迎えようとしている。
◆ 世界的胎動
こうした環境革命は、世界人口の6割を超える人口を集める都市の姿をも変えつつある。理想的都市とは、持続的な未来を担保できる仕組み「トリプル・ボトム・ライン」つまり環境と経済とコミュニティが均衡する都市像を目指し始めた。その目標は気候変動と生物多様性滅失の速度を緩和すると言う世界的合意である。そのための有効な手段として共有されつつあるのが、化石燃料に頼る自動車からの脱却であり、みどりと水を都市に再生する方向である。先進国の主要都市は着実にそうした方向に都市再生しようとしている。このような方向の中で、我国は恒常的「生態系サービス」を享受する独特の仕組みを生み出し、独自の空間秩序を形成した。「里山」を主とした空間的配置である。生態系サービスとは物理的サービスに留まらない。自然を対象にした遊びを生み、そこからリラクゼーションと芸術的な美的感性を併せ持つ文化をも生み出した。このように厳しく多様な自然に対し、多様な手立てで共生する我国の仕組みと技術は、自然と共生する持続性のある社会を目指す世界の大いなるモデルと成り得るのである。
◆ ヘルス・プロモーション
専ら経済的生産性を追及する宿命を持つ今日の都市は、かつて公害に悩み多くの疾病を生んだ都市の歴史と同様、高ストレスを生み、疾病発症の遠因となっている。それに加えて我国は高齢社会を迎えている。 環境革命はただ単に自然に対する人為的負荷を軽減し、人類生存の基盤を持続的に担保するという目的のみならず、個人としての人間に対してもWHOが定義する健康「人間として社会的に完全に安寧な状態・・・」を保障する目的をも充足するものでなくてはならない。その為には、医療のみならず心理・生活習慣・環境を合わせた新たなる健康を支えるモデル「ヘルス・プロモーション」の概念がさらに重視されるべきであろう。
環境変化がもたらす新興・再興感染症
国立感染研究所昆虫医科学部 小林陸生
日本のマラリアに関しては、明治から昭和の初期にかけて全国的に流行が見られ、北海道の屯田兵においても多数の三日熱マラリア患者の発生が認められていた。 また、1945年の終戦後に、南方諸国および中国大陸等から600万人以上の復員者が帰国し、マラリアの大きな流行が起こると危惧されていた。 しかし、戦後6年で全国の患者数は2万8千人から500人以下に急激に減少した。 地球温暖化とマラリアに関してはいろいろと議論がなされ、エルニーニョがマラリアの流行に関係する事例、アフリカ大陸での高地マラリアの事例がある。海抜1,500m以上のケニアの高地では、媒介蚊(Anopheles gambiae s.l).の発生密度が低いにもかかわらず、マラリアの流行が起こっている。地球規模での温暖化が、ハマダラカの発育期間を短縮させ、発生密度を上昇させることによってマラリア流行がより広範に起こることが指摘されている。 一方、マラリアの流行地域の拡大には、森林伐採、農耕地の造成などによる媒介蚊発生水域の拡大、医療体制の不備、媒介蚊防除活動の停滞、地域紛争による難民の創出など社会・経済的な要因がより強く関係しているとの主張がある。 将来、マラリアが日本でまた流行する可能性があるとの環境学者の発言が目立つが、網戸や密閉構造が保たれた住宅に住んでいる日本人には、その可能性は皆無に近い。
デング熱の主要な媒介蚊であるネッタイシマカは、1月の平均気温が10℃以上の地域に分布すると言われている。 台湾南部の高雄や台南ではデング熱の流行が見られるが、台北ではほとんど流行が起こっていない。これは、媒介蚊の分布や密度が関係していると理解されている。なお、今後の温暖化の推移によっては、台北や南西諸島、南九州においてネッタイシマカの分布・定着が起こる可能性があり、継続したモニタリングが必要と考えられる。温暖化の将来予測のモデル(MIROC K1)を用いた将来予測では、2035年には九州南部にネッタイシマカの侵入が起こる可能性が示されている。一方、東北地方でヒトスジシマカの分布域が 1960年以降明らかに北方へ拡大しており、現在、青森県近くまで迫ってきている。最近侵入が認められた東北地方の諸都市では多くの市民が新たに侵入したヤブカに困惑している。 デング熱やウエストナイル熱の重要な媒介蚊であり、最近、インド洋の諸島等で大きな流行が認められたチクングニヤ熱に関して、ヒトスジシマカはネッタイシマカより媒介能力が高いことが報告されている。2007年に東北イタリアのEmillia-Romagna州で突然チクングニヤ熱の流行が起こり、9月までに約300人の患者が発生した。イタリアには1990年に初めてヒトスジシマカの侵入・定着が認められており、相当広範囲に同蚊の分布が広がっている。そのような状況で、インドで感染した1人が病原体を村に持ち込み、チクングニヤ熱の流行が起こった。このような事が日本でも起こる可能性は非常に高いと考えられる。 日本脳炎の媒介蚊であるコガタアカイエカは、東北地方で発生数が少ないが、将来、温暖化によって媒介蚊の密度が上昇し、西日本地域と同様に日本脳炎ウイルスの伝播に寄与する可能性が考えられる。 環境の変化には、上記の気候変動以外の要因も多数存在する。 1)地球規模での人の移動、物流の活発化、2)地域紛争、戦争等による難民の流出、3)異常気象による食糧生産の減少、4)水資源の減少または枯渇、5)異常気象による洪水の発生など様々なことが関係している。 本講では地球規模での、特に温暖化が新興・再興の蚊媒介性感染症にどのような影響を与えるか概説する。
厚生労働行政における感染症対策
厚生労働省健康局結核感染症課課長補佐 梅田浩史
近年、地球環境の変化等を背景に新興・再興感染症の流行拡大が懸念されているが、世界規模で甚大な被害が予想される新型インフルエンザやわが国への侵入が懸念される蚊媒介性感染症(デング熱、ウエストナイル熱等)等の感染症対策の現状と課題について紹介する。
また、感染症法に基づく病原体等の適正管理のための新たな制度が平成19年6月よりスタートしたが、その概要についても解説する。
1.新興・再興感染症の拡大
近年、社会に大きな影響を及ぼしたBSE(牛海綿状脳症)、SARS(重症急性呼吸器症候群)、鳥インフルエンザ(H5N1)等の新興・再興感染症の多くが動物由来感染症である。特に、最近、デング熱やウエストナイル熱等の蚊媒介性感染症の流行が世界各地で起こっている。こうした感染症の流行拡大の背景には、地球温暖化も含め熱帯雨林開発や環境汚染など様々な要因が考えられている。
2.注目すべき感染症の現状と課題
(1)新型インフルエンザ対策
近い将来、人から人に容易に感染する能力を備えた新型インフルエンザが出現して世界的な大流行(パンデミック)が発生し、人の健康や社会機能に対して甚大な影響を及ぼす事態が懸念されている。わが国では近い将来に発生することを想定し、「感染拡大を可能な限り阻止し、健康被害を最小限にとどめること」及び「社会・経済を破綻に至らせないこと」を目的に総合的・効果的に各種対策を組み合わせて対応することを基本戦略として、現在、個々の対策の具体化を進めているところである。
(2)蚊媒介性感染症
近年、デング熱、ウエストナイル熱等の蚊媒介性感染症が世界各地で猛威をふるい、日本への侵入が懸念されている。いずれも有効なワクチン・治療法がなく,対症療法や防蚊対策に頼らざるを得ない。また,これらを媒介する蚊は日本にも生息することから、いったんウイルスが日本に侵入すると,一気に全国に広がってしまうことが危惧される。
3.感染症法に基づく病原体等の適正管理
米国での9.11テロや炭疽菌事件、わが国での地下鉄サリン事件等、わが国でテロ対策の必要性が高まったことなどを背景に、感染症法を改正する法律が平成 18年12月8日に公布され、翌年6月1日より施行された。これにより、生物テロに利用される可能性のある病原体等の所持者に対し、施設設備や取扱に関する基準を義務づけるなど、生物テロや事故等による感染症の発生・まん延を防止するための病原体等の管理体制について新たな制度が設けられた。研修では、本制度の概要と施行後の状況について解説する。なお、関連情報については、厚生労働省ホームページをご覧いただきたい。
(http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou17/03.html)
医療機関における感染管理の実践
= バイオテロ・新型インフルエンザを含む=
順天堂大学医学部附属順天堂医院臨床検査部 三澤成毅
医療機関における感染管理には,個々の患者における感染の管理から施設全体の管理に至る広い範囲の感染を制御することが要求されている。多くの医療施設(病院)では,感染対策委員会や感染対策チーム(ICT)が組織され,さまざまな活動を展開している。これらの組織の目的は,病院感染の防止と迅速かつ的確な把握である。さらに近年では,病院感染のみならず,バイオテロや新しい感染症などのリスクへの対応も求められるようになってきた。このように,感染管理は医療安全の面からも重要性が高まってきている。
感染症診療において,診断を確定するための起炎微生物の特定や治療抗菌薬を選択するための情報は微生物検査によっている。また,微生物検査室では抗菌薬に対して耐性を獲得した薬剤耐性菌の検出や動向を日常的にモニターしている。このように,微生物検査室は病院感染を最も早く察知できる部門であることから,感染管理においてきわめて重要な役割を果たしている。最近では,薬剤耐性菌等の特定の微生物を積極的に検出することによって,病院感染が減少するエビデンスをもとに入院時にスクリーニングする考え方も出てきている。
病院感染以外のいわゆる市中感染は,病原微生物の検出が診断に直結することから,微生物検査が必須である。過去には,平成8年(1996年)に堺市を中心に発生した腸管出血性大腸菌O157による下痢症においても,病院検査室や検査センターの臨床検査技師による陰の努力を見逃すことができない。今日では,たとえばインフルエンザの診断に迅速検査によるウイルス検査は欠くことができない。冬季に多発するノロウイルスによる下痢症も臨床的な診断に加えて検査の必要性が高い。
バイオテロは,米国では炭疽菌が実際に使用,日本ではボツリヌス菌によるテロが計画された。これら以外にはブルセラ,野兎病菌,痘瘡ウイルス,出血熱ウイルス等がバイオテロに使用される微生物としてあげられている。また,人間がこれまで立ち入ったことない土地への進出は,エボラ出血熱のように風土病として他とは隔絶されていた感染症が高度に発達した交通手段によって世界へ広まる危険性をはらんでいる。地球温暖化によって日本には本来土着していない,または消失した感染症が復活することも危惧されている。さらには,新しい感染症として重症急性呼吸器症候群(SARS)や新型インフルエンザが,いつ,どこで発生するか全世界が注目している。このような感染症に即応するにはマニュアルを準備しておく必要がある。炭疽やSARSについては,関連学会と日臨技が協力してマニュアルをいち早く作成した。病院および検査室ではこれに基づき,対応のための体制を準備することができるものと考える。これによって,感染症が個人から医療施設,あるいは社会へ拡散するのを防止することができ,感染症の危機管理に役立つものと期待される。
改正感染症法によって,病原体等やこれらを取り扱う検査室の管理体制が強化された。微生物検査室では検体の取り扱う際,安全キャビネットの使用が不可欠である。微生物検査室は感染症の危機管理に主導的な役割を果たすべきであり,そのためには認定臨床微生物検査技師や感染制御認定臨床微生物検査技師(ICMT)の活動に負うところが大きい。
しかし,検査体制の整備が困難なものもある。たとえば新型インフルエンザは現状のウイルス検査試薬では陽性率が低いとされ,一般の医療施設における検査には限界がある。これについては,行政や専門機関と連携した体制を準備する必要がある。
輸血療法および輸血検査の内外最新情報
株式会社イムコア 佐々木正照
【はじめに】
輸血療法における血液製剤の適正使用や安全な輸血の実践は格段に向上した。この要因には,新血液法や各種のガイドラインの遵守,NAT,貯血前白血球および初流血除去,そして検査技師による輸血検査の24時間体制,自動機に連動した検査結果および血液製剤のコンピューター管理などが上げられる。
しかし,人的な原因による輸血過誤は氷山の一角として未だに散見される。また,生物製剤がゆえに防止できない同種免疫による輸血副作用は多数報告されており,安全な輸血への取り組みは,一層の発展が望まれるところである。そこで本講では,最近のトピックとして,以下の3つの事項に焦点をあてて概説する。【遺伝子検査の導入】
遺伝子検査によるABOやRh血液型検査は,血清学的では解明できなかった亜型の分類,民族的な違いの遺伝子構造を明らかにした。さらに,メンデルの法則では説明できないB型とO型から,A型が生まれる親子関係の可能性を立証した。
しかし,輸血療法における遺伝子検査が,適合血の選択や同種免疫防止のため応用されることは,その時間や手技の煩雑さからは困難であった。
2008年,FDAはBioarray社のDNA分析による血液型検査の技術を認可した。この原理は,抽出したDNAを各種血液型対立遺伝子のSNPプライマ-添加したMultiplexed PCRで増幅し,SNPに対応するプロ-ブを結合させたシリコンビ-ズと-ハイブリダイゼ-ションを行い,その蛍光色素で標識された増幅産物を専用の装置で測定して,血液型抗原を決定するものである。1バッチで36種の対立遺伝子,18種の血液型が測定できる。検査所要時間は約5時間程度で,8時間で 500件が処理できる。
この技術の応用で,直接抗グロブリン試験陽性や頻回輸血のために血清学的手法では判明しない患者の本来の血液型が検査できることや,多種のminor血液型抗原が判明しているDonorのプールが可能となる。このため,受血者の血液型に合わせる適合血の選択が容易になり,受血者が持たない抗原による同種免疫や副作用の低減が期待できる。同様に血小板やHLA抗原の遺伝子検査も可能となるために,臓器移植やHLA適合血小板の供給体制に有用性が広まるものと思われる。ごく近い将来,この技術の広範囲な臨床治験は,カナダ,ヨーロッパ,そして日本の3拠点で行われる予定である。
【ABO血液型を転換させるKODE Technology】
「KODE Technology」とは,O型赤血球をA,B,AB型に変換する技術をさす。この原理はABO血液型抗原を構成する糖蛋白,糖脂質のうち,人工的に合成した糖脂質抗原SYN-A,SYN-B(Synthethic A glycolipid,Synthethic B glycolipid) の一定量をO型赤血球に付加させるものである。SYN-AやSYN-Bの濃度に変化させることで,各種の凝集強度を持つ赤血球を作成することが可能となるため,施設内での凝集強度判定の統一化に利用することができる。また,吸着解離試験なども可能なことから,講習会や研修会などの亜型赤血球の精査実習などの応用が可能となった。
【輸血・細胞治療学会の検査技師教育推進事業】
2008年4月より,上記学会の輸血検査に携わる臨床検査技師の育成事業がスタートした。本趣旨は,認定輸血検査技師の合格率低下傾向の改善が主目的であるが,自動機導入に伴う技術力の低下防止,そして安全な輸血のために必要なコミニュケーション・スキルなどの向上などである。当初の事業としては,輸血検査の標準化(血液型,抗体スクリーニング,交差適合試験)と,指導法の統一化,指導者の認定になると思われる。
【まとめ】
新技術としてカラム法やマイクロプレート法が紹介され自動化も普及されてきたが,基本的な原理は試験管法と同じ凝集反応であり,ことさら新しい検査技術ではない。このため検査法に関する学会発表等などは減少傾向にあり,今後の新しい検査法の展開に対し少なからず閉塞感があるのを否めない。検査者は,精度管理に基づき確実で正確な結果を報告することが第一であるが,輸血検査が検査技師の専門の業務として認識されている今日,結果に基づいた報告の仕方,コミニュケーション・スキルの充実が必要であろう。
近未来,安全な輸血療法に関わる輸血検査にも遺伝子技術の応用が導入されるのは確実である。血清学的検査と遺伝子検査所見の限界と整合性についての学習も本格的に取り組む時期に来ているものと考える。
輸血療法の今後の展望
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 河原和夫
かつて流行した感染症に対する医療技術は、予防接種による発症の防止、抗生物質や輸液などによる入院期間や治療機関の短縮を可能にし、職場復帰などを早めることにより直接医療費や遺失利益、労働損失の防止に大きく寄与した。しかるに、現代医療は高度な産業技術に立脚して日々新たな技術革新がなされている。輸血を取り巻く環境も同様である。
これら現代の医療技術は完成技術ではなく開発途上の技術であり、高度な産業技術の上に成り立ち、絶えず更新がなされている。それに伴って技術導入に伴う費用は高コストで、国民医療費や医療機関の経営を圧迫することにもなりかねない。
技術開発や製品化のコスト、診療報酬による経済的評価が、輸血療法の今後を左右する因子のひとつである。
もうひとつは国の政策である。2002年に血液法が成立したが、厚生労働大臣が血液事業に関する基本方針を確定するとともに、採血事業者や製造販売業者は製造、輸入する予定の血液製剤の量や原料血漿の確保見通しなどを厚生労働大臣に届け出て、これをもとに厚生労働大臣は血液製剤の安定供給のための需給計画をも定めることとなった。輸血管理料の新設や血液製剤の使用指針および輸血療法の実施に関する指針などにより、血液製剤の適正使用を推進する政策が採られている。加えて、大病院を中心にDPCが普及してきていることも、医療機関の経営サイドの意見が血液製剤の選択にも反映される現実となって表れてきている。二つ目の輸血療法の今後を展望する際のキーワードは輸血医療の制度論である。
三つ目は、人口学的な要因である。献血者は年々減少し、輸血医療を受ける機会が多い高齢者が増加してきている。供給サイドに立つか、需要サイドに立つかによって輸血医療の将来像が異なってくる。
四つ目は医療技術や科学技術の進歩である。将来、外科治療法が進歩したり人口血液や万能細胞などから血液製剤が作られることになれば、献血事業も含めて輸血医療は大きく変わるものと予想される。
未来予測で用いられている”デルファイ法”を用いて、血液製剤の使用量の将来予測を行い、輸血医療の今後の動向を分析したところ、血液製剤の使用量に影響を与えると考えられる要因は、支払基金の審査、輸血や血液製剤使用のガイドライン、輸血療法委員会、人口動態の変化、外科治療の進歩、献血者数の変化などは使用量に対する影響が大きいとの回答が多かったことは、これらの要因が輸血医療の将来展望に対する影響因子であることを物語っている。
公開講演会では、以上のことを中心に述べてみたい。